山口県でのコラボセミナー…序章…

こんばんは!

何がびっくりしたって
高○健が亡くなったことですよ…。

つい先日
深夜にTVで放映していた映画の主演が彼でして…

あまり邦画は見ないのですが
つい見入ってしまいました。

調べると
2012年公開。

つまり遺作ですな。たぶん。


80代にも関わらず
立ち居振る舞いが素晴らしいな。
と感銘を受け、PT的に動作観察してました。

健康食品?のCMにも
出ているので
てっきり元気でいることかと思っていたのですが…

なんていうんですかね…

父と重なるんですよね。

アノ厳しいまなざしやたたずまいが。

父は老いても
自分にとって
唯一であり
永遠の存在のような気がします。

その父を失ったような
疑似体験です。

今思い浮かべると、彼の作品で
しっかり観たという記憶があるのは
今回の
”あなたへ”

15年前?の”ぽっぽや”くらいしかありませんが

偉大な存在だったのは感じます。

今、目の前で
次男が
DVDを引っ張り出して
ゲド戦記を観てるんですが
その声優もアレですね、菅○文太。

彼も似た雰囲気ですね。


いずれにしても…

ご冥福をお祈りいたします。


さて
本題。

しかし
前置きが長い!

しかも今回は前置きだけで終わりますので
ご了承ください(*^。^*)
さらに
固有名詞を使わずに物語が進行していきますので
この”彼”って誰だよ!ってな感じですので
推理小説を読むような覚悟でお願いいたします(^_-)-☆



えーっと・・・・

何とも有り難いことに
この3年間は
おおよそ年に2回ほどのペースで現職者対象のセミナー講師をさせていただきました。

茨城で2回、山口で3回、愛媛で1回。

いずれも
思い返すと稚拙な内容で…

参加者の方には申し訳ない状況でした。

そしていずれも
参加者の方たちからのフィードバックによって
自分が成長できたように思います。

講師として行かせていただいてるのですが
得るもののほうが多いような気がします。

これは震災後の被災地支援ボランティアでも
感じたことです。

そして
被災地からの流れが現在まで続いている気がします。





学生相手ではなく
PTとして働く現職者を対象にセミナーを行うことは
以前
”夢”のひとつとして掲げていたことです。

今自分が持っていることを誰かに伝え、
それによって患者さんやセラピストが
より良い方向に向かえれば…

という想いでしたが

今考えると
なんておこがましいんでしょう…(-_-;)

とはいえ

本当に有り難い話です。



さてさて

今年度最後の講師を務めるセミナーは
11月初旬の週末、3回目の山口で開催されました。

事の発端は
一昨年2回目の山口に呼ばれたとき、
懇親会にて
参加していただいたある方に
声をかけていただいたことです。

埼玉時代の同僚で
今は開業し、知る人ぞ知るマニアックなセラピーを行っているセラピストがいるのですが、
その彼が九州でセミナーを行い、それに山口のPTが参加し、
ひょんなことから
我々二人が同僚だということを知ったらしいのです。

我々二人のやり方は
やり方こそ違うけれど
目指しているところは一緒だ。

というのです。




近い将来二人のコラボセミナーを是非!

提案していただきました。

いや
それは無理!
と伝えたのですが…

それには理由(わけ)がありました。


せっかくですからこの話も詳しくいたしましょう。



10数年前、PT養成校を卒業したわたしは
埼玉の宇都宮沿線上の小さい町のクリニックに就職しました。

あるご縁がきっかけで卒業間近に
長野の病院に帰ることが決まっていたのですが
その病院がリハ室立ち上げしたばかりで
どこかで3年ほど修業して来い。
という話になり、
またまたあるご縁によって
埼玉に行くことが決まりました。

もっとさかのぼると、

中学、高校時代から落ちこぼれだったわたしは
大の勉強嫌いでした。
高校時代の試験の結果は250人中220位くらいでした。

ですので、高校卒業と同時に就職し、
電気機械製造会社の経理、ペンションの管理人、フリーター、
などを転々として、
最後にスポーツクラブのインストラクターを
2年ほどさせていただいたのですが、
そこで

水泳の育成コースのコーチを任された経緯で

ヒトは変われる!
俺もやればできる!

という体験をします。


諸々の理由で23歳になってPTを目指しました。

入試勉強は大変で
落ちこぼれに戻りましたが

PT養成校に入ってからは
インストラクター時代に指導していた
子どもたちからの応援のおかげで

ゼロからスタートの気持ちで
頑張りました。


足を引っ張るような友人と
つるんでもいましたが

成績の良い年上の同級生が、
体育大学を出て有名スポーツジムのインストラクター経験がある方で

この方がいいライバルになりました。


結果、
子どもたちに合わせる顔がない
という気持ちと
このライバルがいたこともあり、

おかげさまで首席で卒業。



また、在学中
義肢装具の授業で講師に来ていた方が
同郷出身で
埼玉のクリニックの科長でした。

その講師のテストに
前代未聞の100点満点をだし、
かなり高評価をいただいたのです。

(養成校の学生や、PTになっている方はわかると思いますが
当時の勉強はそれほど難しかったわけではありません。
やっているか、いないか、だけです。)

埼玉の科長が務めるクリニックに非常勤で来ていたDrの
医局の同期が
わたしがのちに就職する長野の病院のDrでして、

そのDrが東京から長野に帰り
父親がやっている病院を継ぐにあたり
新しくリハを開設するので、
PTを探している。

という話になり

埼玉の科長が
長野出身で成績がいい奴がいるよ
ってことで
わたしに白羽の矢が当たったわけです。

そんな理由で
まずは
その講師の部下になり3年間修行することになったのです。

ところが
いざ入ってみると
その講師は職場内で虐(しいた)げられていました。

リハの内容も
徒手によるROMと
重錘負荷による筋トレが主なモノで、

極めつけは
肘のOAで熱感、腫脹、発赤がある方にバイブラ(温浴)の指示が出て
誰も疑わずにその指示通り施行していたことです。

もちろん
バイブラのあとは
痛いのを我慢してROMです。

損傷、打撲という診断名以外にアイスパックという
選択肢はなく
当然アイスパック自体も使えるようなものはありませんでした。

科長に事情を説明すると
「確かにそうだよなぁ」というので。。。
急きょ購入してもらい
プログラム変更の手続きを取りました。

当時のDrは雇われており、こちらからの主張には問題なく応じてくれたので
リハ室内の調整だけで済みました。

あとは、、、

ひとつ先輩のPTが同じ養成校の先輩でもあったのですが
ある日
患者さんのフォローアップをしている最中
「もう痛くないんだから、やる必要ないでしょ!」

言ってきたのです。
その患者さんは中学生のスポーツ選手で
今後の予防のためにテーピングを指導している最中でした。

激高したわたしは
その先輩を
裏(職員入口のある階段下)に連れ出し
必要があると判断してやっているのになんでそんな茶々を入れるんですか!?

問いただしました。

また
ある日は
リハスタッフの会議中
その先輩が科長に対して
タメ口で話しているのに激高し、
いくらなんでも上司に対してタメ口はないんじゃないですか!?

怒鳴ったことも
ありました。

そんな
内部事情ですから
いいかげん嫌気がさしまして…

理事をされてる
オーナー婦人とたまたまお話をさせていただいたとき…

(オーナーはPTで、オーナー夫人も
情熱家、内部事情もご存知で
嘆いておいででした。)

あぁぁ
○○先生とかいてくれたらなぁ


漏らしたことがありました。

○○先生とは
当時わたしが崇拝?というか
唯一結果を出すPTとして知りうる人でした。

整形外科技術論の講師で
最後の臨床実習地
千葉にある有名整形外科病院でリハ部長を務める方でした。

今は
東京、静岡、鹿児島に
クリニックを展開し
ある治療概念で日本中を行脚(あんぎゃ)しております。

そのPTとオーナーPTは
なんと
同じ○○系列で
わたしがそんなことを漏らした
すぐ後に
ゴルフのコンペで同席したらしく

わたしがそんなことを言っているので
今度来てくれないか?的な話を
その席でしたら…

実現することになったのでした。



実現するにも
わけがありまして…

そのPTの病院に実習に行ったとき
わたしは
羽目を外しまして
飲み会で粗相をしたのですが
そこで
ちょっと言えませんが伝説を残し
また
そのPTのアシスタントとして
活躍した経緯もあり

就職を勧められたのですが
長野に帰るという理由で辞退させていただいたのです。

まぁ
それだけでも有り難い話ですが…

ま、そんなこんなで


見に来ていただいて…

お前何やってんだよ!
うちを蹴って長野に帰るっていうから
仕方なく承諾したのに
埼玉のこんなところで
何くすぶってんだよ!

って
話しになりまして…


俺がオーナーに話してやるから
お前がシステム全部変えろ!

って話になりまして…

なあんと
就職した7月から
システム改善とレイアウト変更のすべての作業を
新人PTが実施するという大役を仰せつかることとなりました。


ここまで
読むと
なんだかわたしが特別のような感じですが
そんなことはありません。

気持ちだけです。


スポーツクラブ時代
ヒトは変われることを実感し
そして
その情熱を維持する。

そんな

気持ちだけです。


その熱い気持ちが
いろいろと良い方向に転換していったんだと思います。 


ナースの動き、受け付けの動き、助手さん、PTの動き
のシミュレーションを作成し、全職員を集めてプレゼン、
リハ室内のレイアウトを刷新、
業者への発注もすべて行いました。

途中
力尽きて
9月リニューアルオープンを
10月に先延ばししようと
科長に相談したところOKをもらったのですが

相談役の千葉のPTは、

そんなこといってると
いつまでたってもできんぞこらぁ!


みたいに喝を入れられまして

9月に
オープンしたわけです。





やっと
本題。(*^。^*)


リニューアルオープンして2週間後の

9月14日に
今回コラボせミナーをさせていただいた同僚となるPTが
見学に来たのです。

年は3つ上、2年目のPTでした。




その当時は
何とも結果が出ないことばかりですから
しつこくしつこく
リハビリをしていました。

高校生の陸上部の選手を
夜遅くまで残して診させていただいたり
日曜日に近くの公園に連れて行って
テーピングを実際試したり

そんな取り組みを
そのPTが
見て…

経験年数じゃないんだ
こいつとなら一緒にやってみてもいいんじゃない?
って
気持ちになったそうで、

就職する運びとなったのです。


おそらくリニューアル前でしたら
そうはいかなかったと思います。

まさに
運命的な出会いだったように思います。





彼は
学生時代
神奈川の有名リハ病院の
今では超有名な
横浜ベイスターズのトレーナー経験もあるあのPTと
インソール界の重鎮でるあのPTが
同時に働いている時期に実習に行き
本物のPTに出会っており、

その想いは熱かったですよ。

わたしには千葉のPTのDNAが入っていましたから

その二つが融合していきました。


私と彼は
身長体重は全く同じ。

キャラクターは正反対でした。

お互いが補い合い
二人でひとつ
ひとつになれば怖いモン無し!って感じでした。

そんな
彼と5年間苦楽を共にしました。

それから
10余年…

初めてのコラボセミナーのオファーが
全く由来の無いような
山口のPTから
降ってきたのです。

当初3年だった
埼玉での修業は
やり残したことがあり、5年に延ばしてもらいました。

ところが
その後半2年は親族が亡くなったりするアクシデントもあり
わたしの心中は
落ち着かなくなり

リハビリに対する想いは
個人的にブレていきました。

酒におぼれるようにもなりました。

今まで培ったキャパシティ内で
惰性でPTをして、
長野に帰っても
家族ができたことで
金に目がくらみ
様々なサイドビジネスにも手を出しました。




そこから
わたしが再び立ち上がり

セラピストとして
奮起するまで
5年かかりました。

そんな状況でしたので
彼とのブランクを埋めずにいられました。

それを実感していたので


当初オファーがあった時点では
まだ
コラボセミナーは時期尚早という思いでした。


そんな中
今年一月に
愛媛でのセミナーに呼んでいただき、
参加者の中にその山口のPTが来られており
懇親会で
また
コラボセミナーのオファーを改めていただきました。

その時も
「いやいやまだ早いよぉ!」

お断りしたのですが
その時すでに埼玉の同僚にも
連絡済みで
いつやる?的な話に発展しておりまして。。。。

しぶしぶ
承諾した形になりました。


ところが
その結果、

今年の1月から11月までの期間というのは

そのプレッシャーによって自分の臨床の質が向上したことは否めません。

同僚の彼や、
山口の彼に
育てられているのです。

っていうか
そういうプレッシャーがないと
駆り立てられない
自分が弱いんですな…。

そしてそして
そすてぇ

あまりにも長文になってしまったぁ(*´▽`*)


ので


続く…



ありがとうございましたぁ!(^_-)-☆

おやすみなさい★

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