自分の感覚を疑う。
一般的な触診ではなく
いわゆるパルペーションテクニックをベースとした
アプロ―チを行う場合、
まず大切なのが
自分の可能性を信じるということです。
なぜなら
触っただけで
組織の動きを感じ取るのは
非日常的だからです。
組織を細分化すると
細胞になり
分子になり
原子になり
と
細かくなっていきますが
いずれにしても
スタティックではなく
全てがダイナミックな場から成ります。
この
事実を知っていても実際体感できるかというと
にわかに信じがたい。
過去に経験がないからです。
自分の感覚を信じる前に
まず
自分の可能性を信じて
実感、体感していくしか術がありません。
で
細胞の動きはともかく
組織が動くこと
それを捉えることによって
変化を見いだせることを
実感、体感が出来るようになると
今度は
ある一定のパターンにハマりたくなります。
つまり
思い込みに依存したくなるのです。
ルールに反したいと思う反面
ルールがなければ生きられない
人類の性です。
アライメントを診よう!
と思ったら
アライメントに関わる
レイヤーしか診れません。
腹部を触っていたとしても
それは
アライメントに関する部位、ということになります。
と最近感じます。
ラジオで例えれば
FMの電波があることを知った。
(パルペーションを知った)
76.0から78.0までの周波数を知った。
(反応があることを知った)
情報を聴けることを知った。
(何らかな変化が出ることを知った)
しかし
FMには90.0までの周波数があるし
AMもあれば短波もある。
それは聴き手が
どのスイッチを押して
どのヘルツにダイヤルを合わせるか?
によります。
20年ほど前は
ステレオコンポなるものが一世を風靡していて
憧れの一つでもありました。
これには
AMとFM別々のアンテナが用意されていて
銅線みたいなのを直接コンポの
ジャックにはさんで
電波を最も拾い易い場所に
個人が設置する方式でした。
自分の手がアンテナに触れていると
音がよく聴こえたりするんで
自分の身体が電波を通すモノなんだと
体感できたりもしたものです。
こういった経験によって
いろいろと感じることが出来るのが
アナログ世界の良い面だと思うのですが
スマホやタブレットで全て出来てしまう
現状に憂いを感じます。
ちょっと脱線しましたが
つまり
FM以外にラジオ用の電波があることと
周波数の幅
は
知っていないと対応できないわけです。
初めに体験した
76.0から78.0の周波数の中でも
いくつかの番組が構成されているので
日常的には事足りるのです。
80Mhz付近に何か感じたり
他の電波の可能性に触れたりするにつけ
今までの周波数のみでは
無いことに気付き始めます。
情報によってそれらが提示されていれば
良いのですが
自ら模索していくには
それ相応の時間がかかります。
私の場合
今行っているアプローチは
独自に行っているので
情報は皆無ですが
心理
栄養
解剖
生理
など多くの既存の学問や
東洋医学
欧米の治療技術
一般の医療知識
など現存の治療学
のなかに
その情報も含まれており
皆無ということではなく
自ら取りに行くことが出来れば
新たな
周波数とスイッチが
選択できる可能性が格段と上がるわけです。
ちょっと
本題とそれましたね。
つまり経験則も大切ですが
知識がより大切だと言うことです。
この骨の構造はこうだ(FM)
この骨の先にはこんな骨がある(周波数の広がり)
骨以外にも筋肉や内臓がある(AMなどの他の電波)
そういった知識があれば
チューニングの幅が広がるということになります。
ある程度の領域まで行くと
自分の知っている
体験済みの周波数の中で
対応するように働くのが
常になるわけです。
一定のパターンの中で
施術を行いたくなります。
パルペーションのみならず
あらゆるアプローチで共通のことですが
最近改めて感じるのです。
アライメントを診ようとしているときは
触っているのが骨だろうが
筋だろうが、内臓だろうが
アライメントに関わる触り方しかしていないのです。
それがここ最近の知見です。
内部疾患やその他を診るときは
それ相応の見方があると感じます。
まだ
これといったのが
見つかったわけではないのですが…
今後模索することになると思いますし
全体を見ながら
同時進行で
アライメントなのか
内部疾患なのか
判別できる日も来ると思います。
そういう意味で
未来の可能性を信じながら
まだまだ
自分に診れているのは
本質の中の一部でしかすぎないという視点
つまり手の感覚を疑いながら
進める必要があるのです。
仮説を立てて
検証を行う作業の中で
現象を捉えていくことに重きを置きます。
パルペーションや
内圧を感じるような手技は
現象を捉えるのに
思い込みが入り込んでくる余地が
多くありますので
この
疑い感が大切になります。
信じると同時に
思いっきり疑う
というのは
そういうことです。
はぁ
長くなっちゃいました。
書きながら自分の想いを
把握していきますので…
お許しください。
今日は
久しぶりの晴天!
気持ち良いですね!
ちょうど
子供たちが
祖父からもらった昔のラジカセで
ラジオを聴いてます。
音量のつまみがバチバチいって定まらず
叩いたり、微妙な位置関係を
探しています。
カセットは
わたしが中学生の時聴いていた
安全地帯のテープが入っています。
夫婦で懐かしめます。
いろいろ問題が山積しているからこそ
何気ない日常が
幸せなのですね。
ありがとうございます。
いわゆるパルペーションテクニックをベースとした
アプロ―チを行う場合、
まず大切なのが
自分の可能性を信じるということです。
なぜなら
触っただけで
組織の動きを感じ取るのは
非日常的だからです。
組織を細分化すると
細胞になり
分子になり
原子になり
と
細かくなっていきますが
いずれにしても
スタティックではなく
全てがダイナミックな場から成ります。
この
事実を知っていても実際体感できるかというと
にわかに信じがたい。
過去に経験がないからです。
自分の感覚を信じる前に
まず
自分の可能性を信じて
実感、体感していくしか術がありません。
で
細胞の動きはともかく
組織が動くこと
それを捉えることによって
変化を見いだせることを
実感、体感が出来るようになると
今度は
ある一定のパターンにハマりたくなります。
つまり
思い込みに依存したくなるのです。
ルールに反したいと思う反面
ルールがなければ生きられない
人類の性です。
アライメントを診よう!
と思ったら
アライメントに関わる
レイヤーしか診れません。
腹部を触っていたとしても
それは
アライメントに関する部位、ということになります。
と最近感じます。
ラジオで例えれば
FMの電波があることを知った。
(パルペーションを知った)
76.0から78.0までの周波数を知った。
(反応があることを知った)
情報を聴けることを知った。
(何らかな変化が出ることを知った)
しかし
FMには90.0までの周波数があるし
AMもあれば短波もある。
それは聴き手が
どのスイッチを押して
どのヘルツにダイヤルを合わせるか?
によります。
20年ほど前は
ステレオコンポなるものが一世を風靡していて
憧れの一つでもありました。
これには
AMとFM別々のアンテナが用意されていて
銅線みたいなのを直接コンポの
ジャックにはさんで
電波を最も拾い易い場所に
個人が設置する方式でした。
自分の手がアンテナに触れていると
音がよく聴こえたりするんで
自分の身体が電波を通すモノなんだと
体感できたりもしたものです。
こういった経験によって
いろいろと感じることが出来るのが
アナログ世界の良い面だと思うのですが
スマホやタブレットで全て出来てしまう
現状に憂いを感じます。
ちょっと脱線しましたが
つまり
FM以外にラジオ用の電波があることと
周波数の幅
は
知っていないと対応できないわけです。
初めに体験した
76.0から78.0の周波数の中でも
いくつかの番組が構成されているので
日常的には事足りるのです。
80Mhz付近に何か感じたり
他の電波の可能性に触れたりするにつけ
今までの周波数のみでは
無いことに気付き始めます。
情報によってそれらが提示されていれば
良いのですが
自ら模索していくには
それ相応の時間がかかります。
私の場合
今行っているアプローチは
独自に行っているので
情報は皆無ですが
心理
栄養
解剖
生理
など多くの既存の学問や
東洋医学
欧米の治療技術
一般の医療知識
など現存の治療学
のなかに
その情報も含まれており
皆無ということではなく
自ら取りに行くことが出来れば
新たな
周波数とスイッチが
選択できる可能性が格段と上がるわけです。
ちょっと
本題とそれましたね。
つまり経験則も大切ですが
知識がより大切だと言うことです。
この骨の構造はこうだ(FM)
この骨の先にはこんな骨がある(周波数の広がり)
骨以外にも筋肉や内臓がある(AMなどの他の電波)
そういった知識があれば
チューニングの幅が広がるということになります。
ある程度の領域まで行くと
自分の知っている
体験済みの周波数の中で
対応するように働くのが
常になるわけです。
一定のパターンの中で
施術を行いたくなります。
パルペーションのみならず
あらゆるアプローチで共通のことですが
最近改めて感じるのです。
アライメントを診ようとしているときは
触っているのが骨だろうが
筋だろうが、内臓だろうが
アライメントに関わる触り方しかしていないのです。
それがここ最近の知見です。
内部疾患やその他を診るときは
それ相応の見方があると感じます。
まだ
これといったのが
見つかったわけではないのですが…
今後模索することになると思いますし
全体を見ながら
同時進行で
アライメントなのか
内部疾患なのか
判別できる日も来ると思います。
そういう意味で
未来の可能性を信じながら
まだまだ
自分に診れているのは
本質の中の一部でしかすぎないという視点
つまり手の感覚を疑いながら
進める必要があるのです。
仮説を立てて
検証を行う作業の中で
現象を捉えていくことに重きを置きます。
パルペーションや
内圧を感じるような手技は
現象を捉えるのに
思い込みが入り込んでくる余地が
多くありますので
この
疑い感が大切になります。
信じると同時に
思いっきり疑う
というのは
そういうことです。
はぁ
長くなっちゃいました。
書きながら自分の想いを
把握していきますので…
お許しください。
今日は
久しぶりの晴天!
気持ち良いですね!
ちょうど
子供たちが
祖父からもらった昔のラジカセで
ラジオを聴いてます。
音量のつまみがバチバチいって定まらず
叩いたり、微妙な位置関係を
探しています。
カセットは
わたしが中学生の時聴いていた
安全地帯のテープが入っています。
夫婦で懐かしめます。
いろいろ問題が山積しているからこそ
何気ない日常が
幸せなのですね。
ありがとうございます。

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