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zoom RSS 被災地支援…というか旅行!?

<<   作成日時 : 2013/01/20 13:18   >>

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もう1年以上前の、2011年5月、8月、10月と
東日本大震災の被災地である
宮城県は石巻市に名ばかりではあるがリハビリ被災地支援活動に参加した。

支援団体の活動の一環として
山本先生の企画に参加させていただいた。


そのなかで出会った現地の皆さんに再会を果たすべく、
4回目の被災地訪問を今回は単独で企画して
新年の1月5日に行ってきた。

一昨年の10月、
現地のコーディネーターである町会長さんと
2回わたしの施術を受けていただいた方、
毎回訪問の度に食事やお風呂などを提供してくださった副町会長さん
が別れ際に口をそろえて「また来てくださいね。」と言ってくださった。

「そうですね、またいつか…」
と答えたものの、
全く未定だった。

経済的、時間的、身体的、精神的…いろいろな事情から
10月をもって最後としよう。と決めていたからだ。

ただ
もう一度近いうちに来たい。
そして
これでもう皆さんに会えなくなるとは思えない…。
なんとなく、そう思ってはいた。

昨年の春、養成校での授業後に、学生が二名近寄ってきて
「先生の被災地での活動を知り、機会があれば同行させていただききたいと思いまして…」
と、声をかけてきてくれた。そのときは「機会があればね…」と答えるだけだった。
あとは時を待った。


後輩であったPT(K君)が、今の職場に移ってからは呑み友達になり、
その席で彼に被災地にまた行きたいが踏ん切りがつかないと漏らしたところ、
1月だったら時間が作れるし、自分も行きたいんでぜひ行きましょう!と
背中を押してくれた。

彼の友人であるPT(被災地支援のきっかけを作ってくれたA君)も同行を希望してくれて
学生二名とPT三名の立派なチームが出来あがり、
重い腰を上げることとなった。

思えば3回目の活動も後輩PTの希望から始まった企画だった。
基本的にエゴイストなのでボランティアなんて性質(タチ)ではない。
しかし、実際行ってみて、
過去の3回と同様に、あまりにも得る物が多かった。情けないくらいに。
行く前の準備や企画、当日奪われる時間やお金、そういったモノを考えると躊躇してしまうが
行ってしまえば、やはりいい経験となる。

ということで
相変わらず前置きが長いが、
今回撮影してきた写真を紹介しながら
回想していこうと思う。




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まずはこちら。
通常の線量(環境放射線量)0.07〜0.09μ㏜ですが
南相馬市役所構内の線量計は偶然にも0.311μ㏜です。

今回は同行のA君が震災後ほぼ毎月南相馬入りしていることもあり
南相馬経由で仙台を目指しました。

南相馬市内の様子は
以前に比べるとかなり街らしくなってきたとのことですが
初めて訪れたわたしからすると街のネオンなどは暗いイメージでした。





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避難指示解除準備区域である南相馬市の南、小高地区も車で走ってみました。
地区の入口にはパトカーが空き巣などの予防を含め常駐。
街灯と信号は灯っていますが
住宅街の建物からは明りが見当たりません。

南相馬に入る前に
飯館村も通りましたが
そこも同じ状況。

テレビで何となくは観ましたが、実際自分が通って肌で感じると
その光景の異常さがよくわかります。

線量も以前より低いとはいえ、環境放射線量の4倍にもなります。
市内で働く人々も子供は通常の線量の地域で育てたいという思いから
1時間以上かかる仙台などから通っている人も多いようです。

実際南相馬で生活する子供たちの甲状腺に異常が発覚しています。

・町や市によって避難区域かそうでないか区別される。
・いっそ避難区域になってしまったほうが諦めがつく。

どちらが良くて、どちらが悪いのか…
色々な問題がいまだに山積しています。





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仙台若林地区に入りまして
K君と合流です。
彼の実家で一晩お世話になります。
この場所がなければ車泊になりますから大変ありがたいです。




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石巻湾沿岸です。
この場所も毎回訪れますが、追悼の火がランプで灯され、碑もできて整備されていました。
6メートルほどのポールがあり、そこまで津波が押し寄せたことが記されています。
尋常ではないことが伺えます。
周辺の崩れかけた家々などの多くは撤去され
殺伐とした印象はなくなり、かなり片付いたという印象です。
しかしまだ復興とは程遠いという声が現地の人から聞かれました。



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4回目の会場。ホームに帰ってきた感じ。
石巻市内のある町の公民館です。
例年より寒いとのことでこの日の館内は1℃前後、暖まるまで2時間近くかかりました。
凍えながら朝食をとります。



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10時過ぎからぽつぽつと
住民の方がおいでくださいました。

テーマは身体のメンテナンスです。
一人一人に個別で施術していきます。

通常の業務と異なり、看板も肩書も背負わず、
一人の人として人を診ます。

時間に急かされないということもありますが
仕事ではありませんから、スタンスが変わります。
義務ではないのです。
そこには「こんな自分ですが、何かのお役に立てれば…」
という”想い”しかありません。

そんな心境のなかで、氣付くことが多くあります。

その達成感から
こうして被災地に赴いているのだと思います。
自己満足だといわれてもいい。
その一つの小さな想いが、誰かのお役に立てるのなら。
何もかもがその一歩から始まると思えるのです。

個人的には現地のコーディネーターの方々への
恩返し的な企画でしたので
あまり多くの方が参加されることは想定していなかったのですが
10名ほどの方がおいでくださり、
予想より多くありがたかったですね。



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二人の学生君たちも
ただ見学だけでは得るものが少ないだろうと思い
体操指導をしていただくことにしました。
11月に体操の内容、話し方、その理由などをレクチャーをしておきましたので、
それをもとに
我々の施術が終わった後に指導をしてもらいました。

ベッドの中でも出来るよう
背臥位でできる3種のみですが、
筋緊張が軽減し、四肢の可動域なども改善するため
それを実感してもらうよう確認しながら行います。

学生君たちは
自作のプリントも用意して
手渡しました。

こちらも予想より好評で
いい企画になりました。



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昼休みには旧北上川沿いの復興マルシェという場所で昼食をいただきました。
新年早々ということで
人はそんなに多くなく、お店も3分の2は開いておりませんでしたが、
震災後2カ月で訪れた時には
がれきに埋もれ、車が反転し、船が乗り上げていた場所です。
感慨深いです。




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定番の日和山(ひよりやま)にも登ってみました。
写真は北上川の中州です。
左のUFOのような建物が石の森萬画館です。11月に再開されまして
以前ブログでも書きましたが感無量です。



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午後の施術も終え、達成感はたっぷりです。

日々の臨床と全く同じ感覚で施術出来ました。
個人的にはこの感覚が前回とのフィードバックになり
自分の進化度を測ることになります。
それをもってして達成感とします。

利用された方々に満足していただいたかどうか。
それが本来の
達成感に繋がるべきでしょうが
個人的な判断では
相手の満足度は測れないので
ここではその話は省きます。

さて

その後は
公民館のすぐ近くにあり震災後半年経ってから
周辺住民の要望にて再開した
居酒屋で懇親会です。

お刺身盛りがハンパなく旨かった!
特にクジラのお刺身。
副長会長さんのお薦めで
クジラベーコンに包んでショウガでいただきます。
クジラベーコンが脂がのっていてうま味がばっちり。
刺身は非常に柔らかく癖がないので相性ばっちり。
画像

A君の写真を拝借(^_^;)





このあと
おしゃれなバーにも二次会に連れて行ってもらいました。
海の幸が美味しかった!
わたしは眠くて先にダウンしましたが、
仲間たちは零時前後まで復興談議に花を咲かせたそうです。



画像

一夜明けて
雄勝を目指します。
途中大川小も追悼に寄ってきました。
以前来た時は通行止めで入れませんでしたが、今はすぐ近くまで入れます。
本当に言葉が出ません。あまりにも悲しすぎます。



画像

峠を越えて雄勝に入ります。
例のバスが屋上に乗っていた建物です。
リアス式の形状で、港の近くが山ですから、三階の建物の上まで津波が押し寄せたのです。
町のがれきはほぼ片付いていましたが
大きな建物はそのまま放置されています。

この先…

いったいどうなるのでしょう?



画像

そんな中
明るい兆しも見えました。
壊滅的な被害を受けた町の中心部では復興マルシェ的な建物がたてられ
開店準備をしていました。
陸の孤島のような
この町にも復興に向けて諦めない方々がおいでになるんだと実感出来ました。



画像

先ほどのバスの建物の近くです。
高く土砂が積まれてならされています。
ちょうど津波が来たちょっと上あたりの高さでしょうか?
この上に建物を建てようという計画でしょうか?

帰り道でも
津波被害を受けた土地で
同じように高くして整地されている場所を
いくつか目にしました。

具体的な復興策を知らないので
何とも言えませんが
複雑な心境です。



さて
そんなこんなで
石巻を後にしました。

帰りの道路も混雑しておらず
天気に恵まれ非常に充実した支援活動だったと思います。


個人の力では
どうすることもできないような問題が山積ですが
こうしてアウトプットして行くことで
少しずつ力が終結して
大きな流れが生み出されていくことを信じます。


Facebookで
原発の敷地内に入ったある方の投稿を先日目にしました。

原発事故は
なんであそこまで拡大してしまったのか!?
というのが通説ですが
実際は
あそこまでよく防いだ!というのが事実だというのです。

となると
東電のスタッフは攻められる立場から
良くやってくれた!と称賛される立場に変わります。

福島のあの地域だけで本当に良かったということになるというのです。

日本全体の問題が
限られた地域だけの問題に防げたということです。

どこまで事実かはわかりませんが
考え方の違いで印象が大きく変わることが理解できます。

日本全体でシェアする必要はあると思います。

なぜがれき受け入れを拒否し
原発再駆動に賛成するのか?

現実を見ていないからなのだ思います。
共感することが必要だと思います。

皆が「国がしっかりしてくれないと。」
と口をそろえて言いますが
それ自体が他力本願だと
南相馬のある人はA君に話してくれたそうです。

以前戦争後復興しようというときは
国に頼れないので自分たちの手で復興しようと
みんなが手を合わせたそうですが

今回は
一部の人には義捐金が手渡され
働く気が起きない人もいるそうです。

国が何とかしてくれないと…・

そういう思いが復興への足かせにもなっている
現実が垣間見えます。

一人一人の
良心が拡散し
少しずつでもいいから
事態が改善に向かうことを望んで止みません。

そして
それが可能だと信じます。



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